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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1953-10-21 第16回国会 参議院 農林委員会 閉会後第8号

今度私たちは長野や新潟の高冷地を見まして、とにかく標高七百メートル以上の殆んど米作には無理があると思うような所に、日本食糧増産、供出制度価格制度が遂に農民をして多収獲主義のほうに無理に引ずり込んでしまつて、而も品種の問題で早生よりも多収獲の中生というようなところまで行つて、今度の被害に打当つておるわけです。

戸叶武

1950-06-15 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第30号

実は本委員会におきましてはその調査項目の一つといたしまして、文化科学技術等発達に寄與し、もつて日本再建のため多大の貢献をした諸行為を調査することになつておるのでありますが、土居良子表彰の件につきましては、昨年十一月十九日付で青木愛媛県知事から高橋英吉内藤隆議員連署をもつて土居良子君の孝養増産、供出完納等努力精進至誠青少年亀鑑であり、かつ社会的影響も多大であり、日本再建の光

鍛冶良作

1950-06-15 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第30号

実は本委員会におきましては、その調査項目の一といたしまして、文化科学技術等発達に寄與し、もつて日本再建のために多大の貢献をした諸行為を調査することになつておるのでありますが、土居良子表彰の件につきましては、昨年十一月十九日付で青木愛媛県知事から高橋英吉君、内藤隆君両議員連署をもつて土居良子君の孝養増産、供出完納等努力精進至誠青少年亀鑑であり、かつ社会的影響も多大であり、日本再建

鍛冶良作

1949-07-29 第5回国会 衆議院 農林委員会 第39号

しかも超過供出をしたから來年からはよけい出さすというようなことであつては、喜んで食糧増産供出に協力しないという気持があるというお話は、その通りであります。ことにその問題とひつくるめて超過供出とそれが税金課税関係して來る。この課税と翌年の割当ということを考慮いたして、できる者も超過供出をしないというようなことが考えられることは私も同感であります。

森幸太郎

1949-04-30 第5回国会 衆議院 建設委員会 第10号

げますれば、これは昨年もたしか申し上げたように思うのでありますが、結局開拓関係を申しますと、灌漑排水、あるいは災害復旧関係の直接間接の耕地の復旧あるいは改良を目的といたしておる事業などでございますが、それは究極目的といたしますところは食糧増産、それから現在の供出制度のもとにおいては、供出の確保ということが究極目的でありまして、これらのものを現在農林省においてやつておるのでありますが、食糧増産、供出

伊藤佐

1948-11-20 第3回国会 衆議院 本会議 第17号

また、早場米等に対する報奨金等に関しても、早場米のできる北陸、東北地方は別といたしまして、関西以西においては、早場米はほとんど出ないのであり、またこれらの地方においても、稲の品種をかえれば、採算上は相当の利益をもつて早場米を出し得るのではありますが、この場合著しき減産を示すことは、專門家の明らかに指示しているところでありまして、このような点から申しましても、獎励金をもつて増産供出を促進せんとすることは

榊原亨

1948-06-30 第2回国会 衆議院 国土計画委員会 第16号

中嶋勝一君 山口縣大津郡地内の川尻古市停車場線及び俵山古市停車場線は、同郡日置古市駅を中心として南北に走り、本村を縱貫する唯一の路線であるが、昭和十九年、二十年に災害をこうむり、未だ完全に復旧してないため、主要食糧、林、水産物の増産供出並びに石炭鉄鉱等に採堀に大なる支障を來しているのみならず、通勤、通学及び観光、商取引上の発展をも阻害している現状である、ついては該両路線改修工事を速やかに施されたい

中嶋勝一

1948-02-03 第2回国会 衆議院 治安及び地方制度委員会 第3号

しかし國家が一生懸命に食糧増産供出努力しておりますときに、こういつた税がもしできるということになりますと、反対の結果を來すということを考えます場合に、國家的な統制や干渉から地方財政というものを切り離すということは、一應うなずけるのでありますが、ここにはやはり地方財政委員会などで、地方財政調整と申しますか、あるいは財源の調整、そういうことをする必要があるのではないか。

松澤兼人

1947-10-28 第1回国会 衆議院 国土計画委員会 第19号

日支事變から續いて太平洋戰爭の窮迫につれまして、食糧自給自足態勢必然的要求は、養蠶業に對して極度の衰退を招來いたしまして、一方戰爭目的遂行林業方面、特に戰爭資材供出のために猪突的猛進を續けてまいつたのでありますが、急速度に山林伐採となりまして、終戰後復興用材を初め重要林産物増産供出さらに木材工業飛躍的發展をみてまいりましたので、今日では赤石山麓に眠る森林資源總面積二萬三千八百町歩といわれておるのでありますが

倉石忠雄

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